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虹色の部屋・

虹色の部屋・

BLACK SABBATH 

70年代を代表をするHARD ROCKの巨匠というべきか、超大物にふさわしいこのバンド、このバンドがデビューをしたのは、70年の2月13日・・そして金曜日ということで話題になりました。
 当時のイギリスのロックのアーティストの間に流行っていたのはドラックとそしてブラックマジックだと言われます。ストーンズとかは、遊びでやっていたのですが、LED ZEPのジミー・ペイジーに、このバンドの中心人物であるギーザー・バトラーとか、トニー・アイオミは、真剣だったと言えます。
 そして、初代のヴォーカリストだったオジー・オズボーンも・・・・・・オジーの普通ではない人の感覚を持ち、そして特徴のある声で、このバンドを伝説に作り上げていきます。
 この時代の頃のことは私は全く分かりませんが、これは本で読んだことを思い出しながら書いているので間違えていたらごめんなさい。
 やがて、オジーは、ドラックなどの問題でバンドを追い出されます。そして、彼の代わりに入ったのが、中世の時代をこよいなく愛するロニー・ジェームス・ディオです。
 RAINBOWの脱退の理由は、リッチーとの音楽的な指向の相違が原因です。リッチーは、アメリカを市場に考えて売れるラブソングで行こうと考えていたのですが、ロニーは、あくまでも中世のヨーロッパの時代のことを中心の音楽を考えていました。そして、新しいサバスの音楽性の方向はこれで決まりました。
 やがて、83年には、ディープパープルの再結成のために動いていたが、政治的なことでその話は難航になったために、仕方なくサバスにイアン・ギランが在籍をしていた時代になりました。このときの音楽性は、無理にドロドロしい感じにしていてあの、輝かしいHARD ROCKの世界を歌い上げてる世紀のロックスターには、あわないちぐはぐな感じになってしまった。そして、サバスの方向性を見失い・・・サバスは低迷の時期を迎えました。そのときに、トニー・アイオミーは、サバスを離れてソロアルバムを製作をしました。
1987年には、若手のメンバーであるトニーーマーティンが参加をして新しい様式美を体現をするために、新しい時代を感じさせるアルバムを発表されました。アルバムのジャケットの芸術的な像に驚いてしまったのには、実はこれはモデルさんが金粉を肌につけて写真を撮影をしたそうです。そして、音は、あの若い頃のロニーを連想されるような声で将来が楽しみなシンガーの一人になりました。そして、やがてサバスにはハードロック界の大物であるコージーパウエルの参加をして、新しいサバスは確実に、新しい時代を開拓をするのであった。
 




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